鹿島彫刻コンクールで渡辺先生入賞「時を漂う」

時を漂う


 石の彫刻家渡辺行夫さんが、数年前からイタドリを素材にした彫刻を手掛けられ、この度鹿島彫刻コンクールで見事「銀賞」を受賞されました。鹿島建設は1989年の創設以来「彫刻・建築・空間」をテーマに隔年で開催。彫刻と建築空間の緊密な関わりを特徴とした国内唯一の屋内彫刻展として、若手彫刻家の登竜門となっています。詳しい資料がまだありませんので、報告のみとなりますが長年の挑戦が実り、ご本人も私達応援団も大変うれしく思っています。

札幌彫刻美術館40周年

1981年6月29日に開館した札幌彫刻美術館は、2022年開館40周年を記念して。初代館長原子修氏を迎えSCARTSで講演会が行われました。友の会も同年「札幌彫刻美術館の事業活動の進展に寄与するとともに、彫刻美術の鑑賞・研究を通じて会員の教養を高め、彫刻文化の向上に資する」事を目的に設立され現在に至っており当会は会員約20名が参加しました。講演会では美術館館長、吉崎元章氏から活動報告、原子氏からは当時の苦労話などの興味深い説明がありました。又「本郷新」を今後どう伝えて行ったらよいか、彫刻の振興・野外彫刻への関心の深まり・美術館をより魅力的に~などに焦点が当てられました。後半私たちが一昨年立ち上げた【北海道デジタル彫刻美術館】も紹介されました。
彫刻のデーターがアナログからインターネット活用へ。WEBを通して各地の彫刻ファンから情報が寄せられ3000体のデーターベースの収蔵作品は現在3800体に増えました。今後も野外彫刻の連携を深め、益々精度を高め充実を図っていきたいと思っています。本郷新彫刻美術館と当会は札幌の文化を守るため今後も協力し合っていきたいと思います。

*******************************************************************************

 


記念式典でのテープカット
1981年6月29日
左から2番目より:堂垣内尚弘(北海道知事)、本郷重子(本郷新夫人)、田上吉也(財団理事長)、板垣武四(札幌市長)

 


第2回北の彫刻展(1986年)[本館庭園] 砂澤ビッキ《樹の処女》と出品作家
(前列:田村宏、中列左より:伊藤寿朗、本田明二、坂坦道、秋山沙走武、中江紀洋、
後列左より:砂澤ビッキ、國松明日香、山本一也、山田吉泰、阿部典英)

 


第7回本郷新賞審査風景
1995年5月31日
本郷新 梅ヶ丘アトリエ

 


記念館1階ロビーに一時期あった喫茶コーナー「原始林」
1982〜83年

ウポポイ(民族共生象徴空間)


2021年10月30日(土)昨夜までの悪天候とは打って変わり風もなく穏やかで温かい秋晴れに恵まれたバス旅行でした。札幌彫刻美術館友の会も、コロナ禍で満足な活動ができなかったこの2年でしたが、緊急事態宣言が解除され、今後の活動の第1歩としてウポポイへのバスツアーを実施いたしました。ポトロ湖を取り囲むように、広大な敷地の中の博物館で先住民族アイヌの歴史、文化の理解を深め、昼食は白老牛やシカ肉のソーセージなどの味を楽しみ、久しぶりに至福の時を過ごしました

北見・訓子府・武蔵美・屋外彫刻 30年をつなぐもの

北見・訓子府・武蔵美・屋外彫刻 30年をつなぐもの
松本隆(彫刻家、古典彫刻技法研究家、武蔵野美術大学非常勤講師)

北海道新聞1992.8.26 シンポジウム記事(写真に写るのが筆者)

私が武蔵野美術大学の彫刻学科を卒業してすぐ、19925月頃のことです。北海道で彫刻家として活動されている小川研さん(武蔵美OB、「北の工房」主催)によって、屋外彫刻シンポジウム(プレ・シンポジウムin北見―グループM.A.U.)が企画されました。夏休みの1か月で現地滞在制作を行い、小川氏の作品と共に北見市の朝日町東部緑道に設置する計画です。

松本隆「対話」1992年 煉瓦、コンクリート 高さ250㎝ 北見市朝日町東部緑道(2021年、篠田康行氏撮影)

当時、彫刻学科で講師をされていた、麻生マユ先生が小川氏の同級生だったことから、麻生先生ほか研究室の推薦で武蔵美の院生、卒業生の4人(野末博啓、土田義昌、春日野幸男、松本隆)が選ばれることになったのです。当時私は卒業後、武蔵美の彫刻学科研究室に勤めて数カ月を過ぎたばかりの頃。また新作を恩師、加藤昭男先生のアトリエを間借りして制作するというプレッシャーもあって、作品の方向性に迷っていた矢先でもありました。

 その年の7月末にシンポジウムが開始されました。私は「コンクリート+煉瓦」の作品だったので、現場で制作し、他の3人は石彫などのため、石材屋の工房での制作となりました。昼は制作、夜は端野町(現北見市)の小川氏の自宅に宿泊という日々が始まったのです。現場制作では、色々な不便に襲われます。まず天候ですが、雨の日は作業ができません。そして、コンクリートを練るため、200m先にある湧き水を何度も汲みにいかなくてはなりません。晴れれば炎天下の過酷な労働が待ち受けていました。そのような制作の一方で、小川氏は休日に様々な場所に私たちを誘ってくれました。オホーツク海岸でのキャンプ、湖巡り、地面に掘っただけの温泉、そして美食の数々。また雄大な景色、夜空の星などは若い私の感性を開くのに十分な糧となったのです。かくして作品は無事完成しました。

 東京に戻った私は、作りかけのテラコッタ作品に再び手を入れ完成させました。横で静観されていた加藤先生は「北海道の制作がいい時間になったようだな」と意味深げに話されました。これが私の個展デビュー第一作となり、作家人生をスタートさせることになります。

 時は、2015年。武蔵美でかつて講師をされていた、故・水本修二先生の渋谷区の「こどもの城」にある屋外彫刻作品「関係空間」が、閉館とともに取り壊されるという情報が、武蔵美の黒川弘毅先生のもとに入ります。かねてから、屋外彫刻の保全活動に取り組んできた黒川氏は、これを危機的な問題として取り上げました。水本氏の故郷であるオホーツク地域に何とか移設できないものかと、相談を受けていた私が、かつてお世話になった小川研さんを紹介します(あの方なら、何かいい提案をしていただけるかもしれない!)。紙幅上、細かい経緯は割愛しますが、その後小川氏の熱心な働きかけによって、訓子府町がこのモニュメント移設に乗り出すことになりました(小川氏の調査で、水本氏が訓子府町出身と判明しました)。そして武蔵美の講師で、水本氏と親しかった細井篤先生が中心となり、訓子府町レクリエーション公園芝生広場への設置が実現しました。さらに、このことをきっかけに武蔵美と訓子府町との関係が進みます。訓子府町ではパブリックアートによるまちづくり事業「くんねっぷアート・タウン・プロジェクト」という文化芸術活動が2017年にスタートしました。その一環として武蔵美卒業生による「彫刻作品公開制作」が行われ、年に1人(または1チーム)が滞在し、公開制作とワークショップをおこないました。これまでに、山本麻璃絵(2017年)、松尾ほなみ(2018年)、李旭+細井えみか(2019年)が参加しました。今年2021年は杉浦藍さんが参加予定です。

 私が北見で制作したのが1992年。オホーツク地域と武蔵美とのつながりが、二十数年の時を経てなお続いている背景は、小川研さんの存在が大きいと思われます。そして、彫刻というものを愛する北海道の多くの人々の存在があってこそ実現したものといえるでしょう。

水本修二「関係空間」1985年 コールテン鋼、ステンレス 高さ400㎝ 訓子府町レクリエーション公園

松尾ほなみ「うんま」2018年 札幌軟石  訓子府町レクリエーション公園

李旭・細井えみか「おきあがるもの」2019年 鉄・防錆処理 8000x160x200cm  訓子府町レクリエーション公園

(画像提供:訓子府町教育委員会、小川研、松尾ほなみ、篠田康行)

中島公園の『森の歌』台座修復

 8月30日(月)早朝から建設局みどり推進部公園管理課からの連絡を頂き、4名参加しました。「森の歌」は1959年に中島公園で開催された北海道博覧会を記念して建立されたもので、設置当時は白コンクリート製でしたが、1997年札幌コンサートホールキタラの建設に伴い、現在の場所(公園入口)にブロンズで再鋳造されました。石材・コンクリートの取り外しなどを直接見ることは少なく大変貴重な体験でした。添付写真の様に1枚づつ丁寧に石材を取り外すと、ボロボロになったモルタルが出現します。1度に外さず数日かけて補修作業を進めていきます。
*サムネイル画像をクリックすると大きく見る事ができます。